銀座街づくりの方向性とは
銀座憲章
銀座憲章は、1984年(昭和59年)銀座通連合会によって制定されました。 会議室に掲げられた憲章は、いつも銀座の人たちの指針となっています。
銀座は創造性ひかる伝統の街
銀座は品位と感性たかい文化の街
銀座は国際性あふれる楽しい街
銀座街づくりの歴史
銀座は明治煉瓦街建設(1872年=明治5年)によって歴史の表舞台に登場して以来、時代の先端を切って走り続けることこそが「伝統」であるという自負をもち、歴史の中であらゆるものを受け入れながら発展してきました。そのめざましい発展を支えたのは、銀座で商売をする人たち、働く人たち、そこに住む人たち、そしてお客様である来街者の方々でした。銀座は、民の力によって繁栄してきたのです。
震災・戦災によって街全体が破壊されながらも、そのたびに、銀座ではどの街よりも早い復興をめざして話し合いが行われ、力を合わせて以前にまさる勢いをもつ商店街へと発展を遂げてきました。街の歴史をひもとくと、明治・大正の昔から、街の人々による自主的な勉強会がおこなわれ、今に通じる意欲的なまちづくり提案がすでに行われていたことがわかりました。
2006年、中央区市街市開発指導要綱に基づき、中央区長の指名による銀座デザイン協議会が設立され、銀座の街並みのデザインについて、新規事業者との話し合いの場が設けられました。
銀座に新しく建築物を建てたり、工作物をつくったりする方々と、事前にそのデザインについて協議をおこなうもので、中央区と各事業者の皆様のご協力により、この仕組みは定着しています。要綱によって義務化された案件以外にも、景観に影響があると考えられる広告や建物ファサードのデザイン変更も、多くの事業者が街との共存共栄をめざし、銀座にとってよりよいデザインとすべく、自主的に申請してくださっています。
そのために固定的なルールや決まりをつくるのではなく、事業者やクリエイターの方と地元が「銀座らしいデザイン」について話し合うことそのものが大切だと考えています。固定的な答えや正解を出す必要はない。その時その時で正しいと思われる判断をする。変化してかまわない。それが銀座のものの決め方です。
銀座デザイン協議会設立以来、約~~件に及ぶデザイン協議をおこなうなかからさまざまな課題が浮かび上がり、さらに社会情勢の変化に伴う多様な課題に取り組んできました。協議は規制のためではなく、銀座がより魅力的な街になるための都市デザインにむかって、銀座で事業を営む人々が、方向性と思いを共有するためのものです。これまでの協議の積み重ねにより、私たちは銀座の都市デザインに一定の方向性を見出しつつあると考えています。
銀座街づくりの精神
伝統より革新
明治5年、新しい西洋風の煉瓦街の街並と西欧の事物を目当てに、全国から集まった、意欲にあふれた新しもの好きな商人が、西欧のものを扱い、銀座発祥の新しい商品、商売が生み出されました。やがて新聞社が、文化人が集まり、情報の発信源にとなり、商業都市として時代の先端を走り続けてきました。これからも銀座は、文化が生まれる場であり、企業家精神に満ちた人が育つ場所。歴史ある保守的な街ではなく、「来るもの拒まず」、新しいことに挑戦し続ける街。街が革新を続けていくことこそが銀座の伝統です。
「にぎわいと風格」 相反するものごとが共存する
「にぎわいと風格」・「ハレ(非日常性)とケ(日常性)」・「グローバルブランドと老舗」・「大通りと路地」。銀座には、一見対立を思わせるような要素がいくつも共存しています。異質なものを受け入れて学び合い、お互いに成長する。この精神が銀座の奥深さをつくり、発展してきた街。互いの価値をそれぞれに重んじ、持ち味を生かし合いながら互いに学ぶことの豊かさは、これからも銀座の大事な共有資産です。
共存共栄・個と全体 銀座の信頼を育て、銀座の信頼で育つ商売
時代が変わっても、銀座を銀座たらしめてきたもの。それは「信頼」。来街者(お客様)と店(事業者)、あるいは店同士の信頼関係が銀座らしさの根源にあり、時代が変わっても受け継がれた大きな資産。一人勝ちではなく、老舗も新規店も大型商業施設もみんなが「お互いさま」の気持ちを持ち、銀座のために努力し、個々が大きな価値を創造し続けることで<銀座>という共有資源を育て、街全体の市場のパイを大きくする。個と全体の相互関係による良循環こそが銀座のあるべき姿であり、銀座で商売やビジネスを営む者の心得です。
対話で決める、今を反映させ人がつくる
銀座は、一つの大きな力、トップダウンでものごとが決まる街ではありません。たくさんの個店、その商人ひとりひとりが協力し合い、その集合が大きな力を生み出しています。ひとつのものごとを決めるときも何をするにも、業種も成立ちも企業規模も違う人たち皆で「銀座とはどういう街か」を語り合う場をつくり、話し合って決めます。時間はかかっても、対話によって、銀座はこうありたいという思いを共有し続けてこられました。固定化したルールや固い決まりごとをつくるのではなく、「銀座らしさ」についての個人の価値観の積み重ねの上に、ひとつずつ課題を話し合って判断し方向性を決めていきます。
歩くことが楽しい、銀ブラの街
まだ車がなかった江戸時代から、銀座の街区は大きく変わっていません。大小の通りが縫い合わされて織り上げられた織物のような「面」は、ちょうどよい、歩きやすい街。碁盤目状の街区は、すべての面が商店街。どの通りも裏側ではなく、表側。歩行者が楽しめるように工夫された美しいショーウィンドウを眺めて歩くウィンドウショッピングは一つの文化として根付いてきました。ウィンドウをのぞいたり、路地を見つけたり、歩いているからこそ得られるリアルな街としての体験がある銀座。通りが安心で安全だからこそ、奥深い味わいに気がつく街。銀座の自治の精神によって守られてきた豊かな歩行空間は、銀座の歴史をつないでいます。
ひとや文化を育てる街
明治時代に西欧風の煉瓦街が建設されて以降、全国から進取の気風にあふれ、起業家精神に満ちた商人たちが集まり、新しい事物・商品を取り扱いました。日本全国の物産や職人の技術と海外の文明が融合し、たくさんの「日本初」が生まれ、モノとコトがクリエイトされてきました。銀座はもともとゴールの場ではなく、起業家精神に満ちた商人たちの出発の地であり、最先端の文化が生まれる場所であり、人が育っていく場所だったのです。新しい文化の創造や、これまでにない商売や業態に挑戦する街。一つ一つの創造と挑戦があるから、銀座は成長を続けられるのです。
ヴィジョン
銀座通連合会は1919年(大正8年)に設立された、日本で最も古い商店会のひとつです。1999年、創立80周年を迎えるにあたって、「銀座は過去を振り返るのではなく、未来へ向かってヴィジョンを描こう」と決めました。
そこで専門家たちとともに、アンケートやワークショップを行い、2年間をかけて銀座の将来像を模索し、銀座まちづくりヴィジョンを冊子にまとめました。
銀座まちづくりコラム
銀座のまちづくりには長い歴史があります。現在、運用されている地区計画「銀座ルール」も、銀座デザイン協議会の仕組みも、さらには銀座独特のにぎわいの連続性や、世界に誇る優れたデザインのウィンドウディスプレイ、銀ブラの楽しみも、銀座ならではの歴史の積み重ねのうえに生みだされたものなのです。 ここでは、そのようなさまざまなエピソードをご紹介することで、銀座まちづくりの考え方をよりいっそうご理解いただければと思います。(コラム執筆/竹沢えり子 禁無断転載)